転職先で培った技術を
次世代に継承するため、
再びMITANIへ。
M&E事業部 品質保証部
品質保証課
T.Y.
2015年入社
工学研究科 材料設計工学専攻出⾝
T.Y.
2015年入社
工学研究科 材料設計工学専攻出⾝
前職について
新卒入社時に三谷産業を選んだ理由
大学院研究室の教授から三谷産業を勧めてもらったのがきっかけです。航空機の重要な部分に樹脂部品を使えるようにするため、プラスチックの疲労寿命の予測解析を行って強度・耐久性を評価するという研究をしており、卒業後はものづくりに携わりたいという思いがありました。ものづくりに関わる仕事を含め、幅広い事業を展開している三谷産業に興味を引かれ、入社を決めました。
転職前に三谷産業でやっていた仕事内容
当初はケミカル事業部広島営業所に配属されましたが、樹脂部門が独立してM&E事業部が発足し、そちらへ転属になりました。M&E事業部での私の仕事は主に品質保証で、サプライヤーで紙幣硬貨入出金機のプラスチック部品を成形してもらい、出来上がったものを管理することでした。お客様よりご指摘いただいた不適合品の選別対応から、サプライヤーで原因調査したあとの対策報告書の作成も行っていました。当時、ご指摘いただく件数が今とは比較にならないくらい多かったため、まずは納品時の着荷品質を改善すべく、社内に受入検査部門を立ち上げました。検査員やサプライヤーを教育・指導しつつ、品質保証体制を整備し、不適合率を1/1,000程度まで減らすことができました。
お客様からの月次品質ランク(評価)が最低ランクから上位Aランクになった時は、長年の努力が報われて、大きな達成感を得たことを今でも覚えています。
一時的に退職した理由
今でこそ三谷産業グループにはメーカーとしての機能が備わっていますが、当時はあくまでも商社ビジネスが中心でした。漠然と「自分はこのままでよいのだろうか」と、疑問や葛藤を抱えていました。モノをつくることが出来るスキルを身に付けたいと思っていたのです。
「手に職をつけたい」「自分の力を試してみたい」という思いが強くなり、転職を決意しました。
転職先企業の事業内容
従業員数10名に満たない小さなメーカーですが、プラスチック成形はもちろん、プレス型やダイキャスト型など、国内製・海外製問わず金型と名のつくもの全ての修理や改造、メンテナンスを行っていました。市場においてコストメリットを追求した結果、海外製の金型がたくさん日本に納入されて来ていましたが、日本国内のほとんどの金型メーカーはリスクを恐れて海外製金型の修理を請け負いませんでした。素性の分からない金型に手を加え、納入後に処置を加えていない箇所で初期不良があった場合でも「それはあなたたちが手を加えたせいだ」と責任転嫁されてしまう恐れがあったからです。そういった意味では、海外製金型も取り扱ったという点でニッチな企業でしたね。
金型トラブルが発生した際は、お客様の生産ラインを止めないように、夜間でも臨機応変かつ迅速、確実に修理対応することで信頼を得ることができました。そのおかげで、お客様から新規の金型製作のご要望をいただくこともできましたし、その際には改造や修理等で培ったノウハウを活かせました。
転職先での仕事内容
初めは顧客窓口担当として、海外起工型における改造・修理の生産管理業務に従事しました。後に同社の専務取締役に就任し、営業~成形品の国内量産立ち上げまでを行うようになりました。1,000t前後の大型成形において成形サイクル30秒を切る(通常の2倍以上の生産力にあたります)という付加価値を付けたハイサイクル金型をコストに魅力のある海外製の金型で提供することに尽力しました。プラスチック成形品の品質管理~金型製造まで携わる中でお客様のニーズに応えるため、常に考え、手の届きにくいところに手が届くようなサービスをご提供することを心がけてきました。
転職理由
三谷産業への再入社の理由
転職先では三谷産業との取引が時々あり、かつプライベートで引き続き懇意にしてくださる上司もいました。三谷産業グループがベトナム工場で生産体制を拡大するタイミングで「力を貸してくれないか」と声をかけてもらったのがきっかけです。
これまで培った技術力を三谷産業の中で発揮できれば、自身の更なる飛躍と会社への貢献につながると思い、再入社を決意しました。転職先で韓国や中国と取引していたので、海外(ベトナム)についても抵抗はありませんでした。
いわゆる「出戻り」という不安はなかったか
正直少し不安はありました。しかし、「若手への技術継承」に取り組みたいという思いもあり、決意を固めました。金型業界はいわゆる3K(きつい、汚い、危険)で、若い人に敬遠されがちな業種だと思います。中小の金型メーカーは後継者がいないために経営存続を断念することも少なくありません。
出戻り前に何度か当社の管理職の方たちと面談し、配属予定の広島事業所で有望な若手社員たちにも会いました。彼らが技術に対して非常に大きな好奇心と探求心を持っているように感じられ、それにより自分の培ってきたノウハウや経験を若い世代に伝えていきたいという私自身の思いがさらに高まりました。そんな気持ちに背中を押され、再入社を決めました。
再入社した部署と仕事内容
再入社後の1年はリハビリを兼ねて、東京の営業部に技術サポートとして約半年勤務しました。技術部に異動して金型製作に携わることさらに半年。その後、製造拠点であるベトナムのABCD社へ家族帯同で赴任しました。
ABCD社のハイズン工場では、金型のメンテナンス部門の強化が目下の課題でした。同部門の部長を拝命し、現地のベトナム人スタッフに基礎の基礎から指導し、彼ら自身が働きやすいよう環境を整え、現場の改善に努めました。
その後、さらに管轄する領域を拡げ、製造部全体の部長として金型育成~成形~組立・検査までを一貫して管理し、2019年10月に帰任するまで現地マネージャーやスタッフの育成、システム構築に尽力しました。
現在の仕事
現在の部署と仕事内容
現在は広島トライアルセンターの品質保証部門で仕事をしています。新卒当時配属された部署に、約20年ぶりに帰属した形です。
金型は厳密に言えば全く同じものが二つと存在しないので、業界で「一品料理」と比喩されるほどです。「こうすれば良品のみを量産できる金型」を作り上げていくために苦心することもありますが、ベテランの技術者はより良い金型に仕上げるためのコツを知っています。そこで製作上とくに重要な設計ノウハウを標準化し、チェックシートに落とし込みました。
それでも金型に不具合が発生すると、大量の不適合品を生産してしまうことになります。不適合品がなぜ発生したのか、技術的目線で若手社員にアドバイスを行っています。日本に帰任してからは週に1~2回程度、金型講習会を開いて、次世代のエンジニアとなる若手社員の教育に力を注いでいます。
仕事で達成感、成長感を得るとき
海外のパートナー企業の方たちと、時には熱く意見を交わしながら金型を設計・製作し、何事も無くスムーズに量産工程まで立ち上げられたときに達成感を感じます。不具合やトラブルが発生した時、周囲のメンバーと協力しながら「どうすれば改善できるのか」考え、的確な対策を打てたときも嬉しいですね。
モノづくりは正直です。良いことも悪いことも真っ直ぐモノに反映されます。海外の方と仕事をしていると、設計仕様の指示や改善指示がうまく伝わらないことが多々あります。そこを諦めずに対応してきたことで、どうすれば相手に伝わりやすく、分かりやすいのかというコミュニケーションの引き出しが増えたことを実感しています。
再入社でやりたかったことは現在達成できているか
達成とまではいきませんが、概ねやりたかったことはできていると思います。現在進行形ですね。ベトナム工場では現地マネージャーやスタッフの教育を含めたモノづくり強化に貢献できたと自負していますし、帰任後の広島でも、若手メンバーに対する技術講習を開いてエンジニアの育成、金型技術の継承に携わっているからです。
活かせている経験
前職で得た経験・知識・スキルで
現在の業務に役に立っていること、
さらに成長できていること
年間約1,000件の修理に対応してきた経験、金型トラブルとその対策方法の知識、また、過去のトラブルを活かしてトラブルが起きにくい金型を設計するノウハウを前職で得て、これらを十分に発揮できていると思います。
現場における、まさに独学で得た感覚的なノウハウを論理的に分析・理解し活用できるようになった点は成長したなと感じています。
転職を経て改めて感じた三谷産業の良さ
三谷産業は労務管理や福利厚生が徹底・充実している会社です。私はもともとメリハリある働き方が好きなのですが、三谷産業では仕事の繁閑に応じた働き方が実践できる会社なので、自己啓発に充てる時間や家族との時間が増えました。
また新型コロナ感染対策の一環として時差出勤やテレワークに注目が集まっていますが、三谷産業では以前からシステムや制度が整備されていたので、社員たちが本当に素早く働き方をシフトできたことには素直に感心しました。
将来
現在目指していること
近い夢は、金型に関する技術を若手に継承し、同僚たちとモノづくりを熱く語り合える場をつくること。同僚と共に非常に難易度の高い金型設計にチャレンジし、作り上げること。遠い夢は、やはり自分で作った商品を世に送り出したいです。自分が携わった商品が店頭に並び、どこを見渡してもほとんどの人たちがその商品を活用している、そんな大きな商品を作ることが夢ですね。
三谷産業へ転職後、どんな風に変わったか
よく周囲の人に言われるのは「身体も性格も少し丸くなった」ということです(笑)。
前職では会社自体を引っ張っていく立場だったこともあり、心身ともに余裕が無かったように思います。
特にベトナム赴任中、家族に「毎日楽しく仕事している雰囲気が伝わってくるよ」と言われていました。ベトナムから帰ってきてからは、日本の良さや家族・友人の大切さを改めて感じられるようになりました。
応募者へのメッセージ
「出戻り」という言葉、あまり良い響きでは無いですよね。正直なところ、私もなんだか「勝手に出ていって勝手に戻る」というようなイメージを持っていたため、少し後ろめたい気持ちがありました。しかし実際は、企業目線では既に会社の仕組みや社風を理解していて、即戦力になる人材が帰って来てくれるわけです。私たちキャリア採用社員目線では、再度受け入れてくれて、柔軟な働き方ができる仕事環境と更なるスキルアップ・活躍の場を与えてもらえるわけです。まさにWin-Winの関係だと思います。
私と同じような考えを持っていらっしゃるのなら、三谷産業のために外で勉強して帰ってきたと思えば良いと思います。
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